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国の指定登録有形文化財の宿「落合楼村上」

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落合楼村上」。
伊豆のみならず、全国の老舗旅館の中でも最高峰といっても過言ではありません。
なにせ旅館全体の約9割が有形文化財として登録されているんですから。言わば旅館そのものが宝ですよ宝。そんな宿に泊まれるとかすごい!

落合楼村上
昭和の始めの大改築以来変わらない宿の玄関は数多くの著名人を迎え入れてきたアプローチ

玄関からして素晴らしく美しい落合楼村上。筆者の写真の腕では伝えきれないのがもどかしいほどです。

落合楼の歴史とその名の由来

落合楼村上の玄関
国登録有形文化財である玄関棟の彫刻欄間にほれぼれ

落合楼の歴史は古く、その歴史は明治7(1874)年に遡ります。

当時、天城湯ヶ島周辺で金山事業を行っていた足立三敏氏が、その拠点として事務所を開いていたのが、本谷川と猫越川が合流し狩野川となる地点。つまりこの宿の建つあたりとなるわけですが、その事務所には東京をはじめとして関係者が数多く足を運んでいたのだそう。中には温泉に浸かるために事務所へ長逗留する人もいたそうな。

そうした背景から、足立三敏氏は旅館を開きます。その名は“眠雲樓”
明治維新から数年。まだ世相は落ち着かず混乱もあったことから、人々を癒す場所としてその名を付けたと言われています。

その建設費は当時の金額で25万円
ちなみに当時は家一軒が100円で、この価格はとんでもないことだとおわかりいただけるでしょうか?

落合楼村上の玄関の中
玄関をくぐると、なんともインパクトのある能面が飾られていました

それから少し時は下り、明治14(1881)年。
この頃、眠雲樓を定宿としていた旧幕臣であり明治天皇側近であった山岡鉄舟が、旅館のそばを流れる川が本谷川と猫越川が合流しているのを見て、旅館の名前を“落合樓”としては? と提案。その名前が採用されました。

以後、明治時代には田山花袋や島崎藤村、大正時代には川端康成、梶井基次郎、昭和初期には若山牧水、北原白秋といった名だたる文人墨客に愛される宿として隆盛を極めました。

しかし、2002年になって落合楼は経営破綻。紆余曲折を経て、現オーナーによって再出発。旅館の名前も“落合楼村上”と改められ、現在へと至っています。

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