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阿伎留神社

東京都あきる野市五日市にある式内社が「阿伎留神社」である。旧社格は郷社。創建年は不詳。

「延喜式」神明帳に武蔵国多摩郡八座の筆頭として記される同国著名な古社で、社名は「阿伎留」「阿伎瑠」「秋留」「畔切」といくつかの字が当てられているが、いずれも「あきる」と読む。
「畦切」の字が当てられていることから、当地開拓が始まった頃に祀られたとする説がある。また、現在の宮司家は創立以来70余代目とされており、その初代は菅原氏の旧姓であり、天穂日命・建夷鳥神を遠祖とする土師氏の出である土師連男塩はじのむらじおしおが氏神を祀ったことに始まるとも言われる。

940(天慶3)年、鎮守府将軍藤原秀郷が大原野明神を勧請。それにより中世以降は春日大明神と称されると共に、鎮座地により「松原大明神」と称し、「松原さま」と通称された。

御祭神は大物主神、味耜高彦根神、建夷鳥神、天児屋根命の四柱。
鎌倉時代以降は武将の崇敬も篤く、源頼朝、足利尊氏、後北条氏から神領を寄進されている。

1873(明治6)年12月、近代社格制度により郷社に列格。1907(明治40)年5月には神饌幣帛料供進神社に指定された。
第二次世界大戦後の1954(昭和29)年に宗教法人となった。

1830(天保元)年に起きた五日市大火で、末社、神主宅に至る一切が灰燼に帰し、江戸幕府に請うて資金資材の準備が進められたものの、幕末多端の折で社殿造営に至らず長らく仮殿のままだった。現在の本殿、拝殿は1888(明治21)年に完成したものである。

毎年9月28日から30日まで例大祭が執り行われる。別名「五日市祭」。
屋根と胴が珍しい六角形で、天保年中に制作された約600kgの「六角神輿」 が先頭となり、そのあとに中神輿、さらには各町内の神輿が連らなり街を練り歩く。またこの露払いとして五日市入野獅子舞が奉納され、檜原街道には多数の夜店が立ち並ぶことで知られる。
なお例大祭の日付が曜日によって変わることはない。